足るを知る日々

足るを知り、足らないを知り、また足るを知る。
この繰り返しなのだろうと思う。

年末年始で実家に来ている。
こっちに置いてあった自分の持ち物を見ながら、色々と思案した。

この本を買ったその時は、読みたい、手元に置いておきたいと思って買ったのだけど。
今眺めていると、あまり感慨はない。
もう手放してしまって良いかもしれない。

そうやって、自分の本質のようなものを見定めていく。
すると、「足るを知る」という状態がその都度現れてくる。


この頃SNSを見ていると、ものすごくお洒落な部屋のルームツアー動画を目にする。
デザイナーズ家具に、最新のガジェット、小気味の良い間接照明で彩り、一眼レフカメラで撮影された映像。
参考になるなと思って、タップしてしまう。
そうすると、それに拍車をかけて、アルゴリズムがリコメンドしてくるようになる。

そして、これを繰り返していると、自分の欲望が肥大化してくるのに気づく。

より上質に、より洗練し、より格好良く、という飽くなき追求。
それは終わりのない、お洒落の輪廻だ。

ここに引き摺り込まれると、「足るを知る」が分からなくなってくる。
人の欲望を自分の欲望と錯覚し、自分もこのお洒落を目指さねばいけない気がしてくる。
そこで、はたと「いやいや、そうじゃないだろ」と我に返るのだが。

最近はそういった苦しさを感じる。
お洒落の過剰摂取による胃もたれと言ってもいい。

ただし、これも「足るを知る」の一つの方法となっている側面もある。
ここまでやったら、逆に苦しくなりそうだなと想像が出来る。
一度、食傷気味になることによって、自分が目指したい、適切なラインの目星がつく感じか。

そうやって削ぎ落としていった先にある「足る」。
これの繰り返しだ。