終活

人生の終わりに向けての活動、略して「終活」。
この言葉を聞くようになってから久しい。

就職活動の「就活」に掛けてのネーミングだが、なかなかに秀逸だと思っている。
戦後から高度経済成長期を経て、今に至り、物質的に豊かになっていく反面、最終的にそれをどうするのか、一個人がそこに目を向け、責任を持っていく時代ということなのだろう。

遺言、生前整理、遺産相続など。
主な文脈としては、高齢の方を対象とした言葉だが、必ずしもそうではないと考えている。
というのも、自分がすでに「終活中」だという認識があるからだ。

少し語弊があるので、補足したいが、自分はまだ30代で、健康であるし、自死願望があるわけでもない。
それでも、すでに、うっすらと自分の「死」を意識しながら生きている節がある。

この平和な日本に住んでいて、皆、今日明日に自分が死ぬだろうと思っている人は少ないと思う。
ただ、そうは言っても、いずれ死が訪れることは100%の確率だ。
であれば、終活も早い段階から始めておくに越したことはないと考える。

例えるには少々大袈裟だけども、これは夏休みの宿題のようなもの。
終わりの方になってまとめてやるもよし、毎日コツコツやるもよしなのだ。
ただ、違うのは、終活の場合は、後半でやるとなると、身体や思考の衰えがある。
より腰が重くなりそうだと予想できる。

今から遺言を考えているわけではないが、定期的な断捨離などをはじめ、身辺の整理は常に行っている。
個人的に、死ぬ間際には、自分の体以外のものは、ほぼ何もないというのが理想だ。

一昔前に「モノより思い出。」という素敵なコピーがあったが、自分はこれを拡大解釈している。
モノも大事だけど、それは心の中に残っているから、捨てたとしても、自分から完全になくなるわけではない。
モノも思い出なのだと捉えられる。

仏教で言うところの「色即是空」にも似ているかもしれない。
この世の森羅万象に実体はなく、全ては空であると説く。
そう思えば、モノも思い出も同じことだ。

この世において、一応は、今やるべきこと、与えられた役割がある。
それがあるから生きているとも言える。
でも「君はお役御免、人生終了」と今日言われても、もう現世にそこまで未練はないかもしれない。
もちろん痛いのは嫌だけど。

縁起でもないが、自分は「半分死んだ状態」で生きていると感じる。
だけど、魂は永遠のものだと信じている。
例え、今生が終わったとしても、次なる段階に移行するだけ。
だから、今はその狭間にあると考え、地道にマイペースに「終活」をする日々だ。