完璧なる中途半端

思えば昔から、完璧主義がゆえに、割と苦しんできた。
もちろん、すべてのことを完璧に行うことなど不可能だ。
ただそれでも、ある程度の自分の求める基準があって、それに見合わないと、その状況がものすごく中途半端な状態に感じて、そわそわ、気持ち悪くなるという具合だ。

完璧主義なことが悪いわけではないとも思う。
そのおかげで、信頼を得られたこともあるし、成長もできたはずだ。
しかしながら、ここ最近は、その潔癖のせいで、物事が進みづらい、スピードが出せないことについて、もどかしさを覚えるようになってきた。

例えば、何か専門書を読むときなども、一語一句丁寧に読まないと気が済まないという性分である。
だけれど、これってやっぱりあまり意味がないよなと気づいたのだ。
なぜかって、一語一句を完璧にさらってたとしても、結局、一語一句を完璧に覚えている訳ではないのだから。
こんな当たり前のことを、ようやく実感している。

映画などでもそうだ。
目で追いきれなかったシーンが気になって、巻き戻しするということも、よくやっていた。
しかし、2回目にその映画を観た時、「こんなシーンあったっけ」となることが多々ある。

結局、完璧にこなしているように思えても、記憶に残っていることは、わずかなのだ。
それはさながら、浜辺を頑張って直線に歩こうとするのに似ている。
寸分違わず、綺麗なまっすぐなラインの足跡がついたとしても、それはすぐに海に流される。
であれば、もっと大胆に、中途半端に、形など気にせずに大股で走った方が、長い距離を進むことが出来る。
両者を比べたところで、残る記憶は同じようなものだろう。

おそらく、成長が早い人というのは、この大胆さを持っている。
自分にはそれが欠けている。
ただ、今は以前よりもそれを自覚できている。
自覚できた以上は、中途半端でも良いという心もちで生きていきたい。

それに、自分で中途半端だと勝手に思っているだけかもしれないし。
人生全体から見れば、それも完璧なシナリオに沿っているのではないだろうか。
完璧なる中途半端なのだ。